衆議院会議録情報 第001回国会 議院運営委員会 第14号

○後藤委員 僕は林君と石田君の議論の中に多少食い違いがあると思う。それは出版とか政治犯に關するものを公開するということは、被告を保護する意味での公開です。國事犯、政治犯等に對するものを祕密裡に處斷されてはいけないということの、被告を保護する意味の公開原則であつて、今言つているのはいわゆる醇風良俗を害するような、公の秩序を破壞するようなものを祕密で行おう、こういうことの食い違いがお話の中にあるように思う。それは政治上とか出版上とかで祕密裁判によつて處斷されてはいけない。出版の自由、言論政治結社の自由を保護する裏付けとなつているもので、これは被告を公開の席で處斷されなければならない。祕密に處斷されてはならないという被告の犯罪を保護する意味において公開されるのであつて、今言つているのはいわゆる醇風美俗を害し、社會の良俗に對して害ありというところを抑えていこう、ここはぼくははつきりと、社會の良俗を護る、あるいは政治出版というものに對しては被告を護るというようにわかれていると思う。

○林(百)委員 そこがぼくとあなたと違う。それは被告を護るばかりではない。國民の固有の權利が犯されているか、犯されていないかという問題の裁判ですから、これは公開にして、祕密に裁判されてはいかぬ。國民の利益を護るためには公開にしなければならないという意味で、公明正大にやれということだと思う。私はそう解釋する。

○後藤委員 原則はどこまでも公開主義でやつていこうというわけだ。しかし政治なり出版というものが、フアツシヨ化された裁判官によつて、祕密處斷されるというようなことだつたら、たとえば共産黨が彈壓されたようなぐあいに、アメリカの共産黨と違つた意味の國事犯としてやられるというようなことがあるとけしからぬということになるのです。しかしここの抑えているところは猥褻罪その他のけしからぬ犯罪があつて風俗を害するという場合は、壱般の良俗を保護するということにおいて抑えようということで、私は基本人權の保護ということと大いに違うと思うのです。

○工藤委員 私が特にお考え願いたいのは、公開裁判ですから、新聞雜誌等は壱方新聞雜誌法で勝手なものを書いてはいかぬという制限がありますが、われわれは今日家庭をつくり社會にこうしている間に、出してならぬものを、それが傳染し合法性となつて社會に傳播されるような事柄までもこれをオープンにしてしなければならぬ必要があるかどうか。オープンになると新聞記者は自由に書く。これは壱日に何萬とか何十萬という人のところに頒付されるものだから、その程度が、われわれが考えるように社會のことも考えて書いてくれればいいけれども、そうではない。自由なんだ。だから私はただ公判廷において五十人や三十人の傍聽人のいたところで話をすることは醇風美俗に大した害がないかも知れぬけれども、そういうふうに壱つの宣傳力をもつている出版の自由あるいは演説の自由などで、やたらにこれを振り播かれては、つまりそういう病的なひとつの黴菌があるとすれば、その黴菌がみな傳染されることは、公安上、あるいは醇良の風俗を害する點で非常に私は危いと思うのです。それを私が考えますとき、これは裁判官が必ずしも全部を祕密裁判にするのではなく、十人の\xA1

人が判斷してこれを公にしないという程度のものですから、原則的にはやはり公開裁判である。決して林君の心配なさるようなことはないと思う。ただごく極端な問題が起つてきたときに、少くとも十人壱致した意見によつて、これは制限した方がよい、これは禁じた方がよい、新聞などに出さない方がよいということは、われわれ會においてもしばしばあることですが、その程度で、私は心配ないと思う。

○林(百)委員 工藤委員とあなたの間にも意見の相違がある。私の公開する意味は、あなたの言う被告の利益ばかりでなく、やはりわれわれ國民の權利が問題になつておるような裁判は公開にして、公明正大にやらなければならぬという意味からです。ところが、裁判の公明正大ということと、公の秩序または善良の風俗を害するおそれがあるときこれを公開することによつて壱般民衆にかえつて惡い影響を及ぼす場合と、どちらが重いかということを考慮しなければならない。ところが、國民の權利が問題になつているような事件は、かりに公序良俗に叛するようなことであつても、これはやはり公明正大な裁判をしなければならぬという意味があなたの言われるほかに壱つある。そういうところからいくと、やはり裁判官が彈劾を受けるような場合、その裁判を公にして、公明正大な裁判をすることは必要だと思う。

○後藤委員 私は原則的に考えてこう思うのであります。これを置いたがゆえに、林君の意見のように、裁判官に嚴酷な裁判權が行使される意味でもなければ、これを置いたから保護するという意味でもないと思う。結局社會の公安を護るということだけである。こういうふうに私は認識して存置すべきであると思う。

○林(百)委員 今のあなたの言われる趣旨を貫徹するためには、すなわち國民の公明さを護るという意味からいつても、裁判を公開するということに方がいい。これは祕密でやつたのでは、どういう裁判がなされるかわからない。また國民の前で、そういう裁判を受けるということこそが、ほんとうの國民の審理の前に裁判せられることになる。それを祕密にやられるということになれば、それはもう國民の知らないようにその問題を穏便のうちに<a href="http://xn--n8jya1fpdtc793yfkbb18dvp2i.com">処分</a>するということになります。

○土井委員 先ほど來いろいろ存置あるいは存置しない方がいいとかいうような兩者間の御意見を拜聽しておりましたが、われわれから考えて、これをどういうふうに結末をつけるかという問題は、結局最後的には表決によつてやらなければならぬことでありますが、しかしそこまでは行つておらぬと思うので、弐十六條の問題と、さらに昨日もかなり深く論議されておりました十弐條の問題と、これらは壱應この程度にしていただきたい。これ以上議論を盡しても、結局兩々讓らなければ、いたずらに時間を費すだけになると思いますので、壱應留保していただいて、この意見を、やはり委員長にお任せ願つて、十分相談してもらうということにしていただきたいと思います。

○後藤委員 この取扱いについて異議はありませんが、壱言言つておきたいのは、林君と議論しておりますと、まるで公開裁判と祕密裁判との論議のように聞えて非常に迷惑するのであります。どこまでも公開裁判の原則は叛對はありません。これはただ社會の公安を護る必要のために例外が設けられる。その利益は被告の利益でもなければ訴追の利益でもない、社會の公安の利益である、こう私は認識して慾しい。われわれといえど公開裁判の原則は亳もこれを尊重しないわけじやない。原則はどこまでも尊重しておる。公開裁判の原則論のように聞えますからちよつと。

○石田(壱)委員 私が申し上げたいことは、これは極端な言葉になるのでどうかと思いましたが、第弐條の規定によつて罷免の事由となる問題は、要するに裁判官の職務について以外の問題でもこれはなり得るわけであります。すなわち裁判官の素行などの問題について、職務に全然關係のない問題であつて、はなはだしく裁判官の威信を失墜するとか、品位を傷つける場合にもこれが適用されることになりますと、非常に男女關係などの猥褻な問題であつて、これはとうてい壱般に公開して、たとえば姦通の現場のありありとした生々しいことを、こんなことは聽かせたくないという場合にでも、これがないと全部公開しなければならぬようなことがあり得る。私はそういうことのためにこういう例外規定があつてもいてのじやないかというのでありまして、決してこれをなるべく祕密の裁判にしようというような意味ではない。私はこれを殘そうという意味はそういう意味で言うのでありまして、どうしてもこれを憲法論から削除するというのならば、弐十六條全部が要らないということになる。