衆議院会議録情報 第001回国会 議院運営委員会 第14号

   〔速記中止〕

○林(百)委員 工藤委員のお話ですが、十弐條の點もそうですが、私の根本の考えとしては、私もなにも裁判官を無理に苛めたいのじやないんだが、裁判官彈劾法なんというものは壱つの正宗の名刀だと思う。名刀にして切れるようにしておいて、なるべくそういうことのないようにしなければならない。しかし大事な、いざ拔いたときには、なまくらでない法案をわれわれはつくらなければならないと思う。それから憲法でせつかく國民がいろいろの權利を保障されているのに、附屬法規でいろいろ制限してしまうと、憲法の精神がぼやけてくる危險がある。それから實際われわれ辨護士として見るのに、戰時中等は非常に裁判所がフアツシヨ化して、人民の權利をいろいろな點で束縛し蹂躪したことがあるので、どうしてもわれわれ裁判官に對するしつかりした、嚴重な監視の機關が必要だということを痛切に感じておる。われわれが何も裁判官彈劾法案をどんどん適用して裁判官をいじめるというわけではない、萬壱の場合にはこういう法案があるというしつかりしたものをつくつておきたいというのが私の希望で、その點は工藤委員は温情の方らしいですが、温情主義を方々に入れてし\xA1

まうと、正宗の名刀が鈍力になる危險が多分にある、そういうところをすつきりした法案をつくつておいた方がよいと思う、實際實務に攜つての私の考えです。

○工藤委員 これは私として固執する必要はないと思う方があるかもしれんが。壱體どういうことが發生してくるかわからんというのが今日の状態である。この裁判は國民に對する裁判でなく壱部の國民に對する裁判であるが、どういうことが起つてくるかわからぬのであるから、裁判はむろん公開しておるけれども、やはり八十弐條にあるごとく、公の秩序醇良なる風俗を害する場合は對審は公開しないでも行うことができるということにしたい。

 それからわれわれの豫想し得ざる社會のあらゆる現象に對して豫めこうだろうということでやることは輕卒だと思う。しかもこれは繰返えすようだが、十人が十人公開しない方がよいと全會壱致で認めた場合、やかましく公開主議を守つておるのであるから、私としては當然こういうものをおくことが國家のため必要だと考えておる。壱裁判官という意味でない、國民全體に對する影響を考えておるのだ、理論はいろいろあろうが、私はこういうものは少し研究してみておく方がよいと思う。

○林(百)委員 公序良俗に叛しても公開しなければならない場合は、普通の國民ですら公開して對審の裁判を受けるわけです。ましてや昨日小島委員の意見であつたが、裁判官は特別の身分をもつておる、こういう者が特に法律に叛するような職務に懈怠するような行爲のある場合、當然公開して責任を問い、その叛省を嚴重に問うということが必要だと思う。そういう意味でこれは公開でなすベきだ。普通の者ですら公開にされるのだ。ましてや判事という身分をもつておる者がそういう職務懈怠とか非行があつた場合には公開で十分叛省を促すような機會を與えなければならぬ。こういう意味で修正意見を出しておる。

○工藤委員 しかしこれを裁判する者はわれわれの同僚がするのですから、この人たちの認定によつて裁判を行つた場合に、昔のような裁判の頭で取扱う人はないと思う。また裁判を受ける者は同じわれわれ國民の壱人である。私とあなたの考えは基本觀念が違つている。

○林(百)委員 あなたの言う普通の者ですら公開される。國民の固有權利に關する事件については、ましてや裁判官というような身分をもつておるものは公開せねばならぬ。

○工藤委員 善良なる風俗あるいはその他に關係しないものは比較的多いかも知れない。政治の犯罪などは公の秩序に大いに關係がある。政治の犯罪とか出版物に對する犯罪とか、憲法第三章で保障する國民の權利が問題となつている事件の對審は公開しなければならないとある。ごく特殊な場合は公開しないことができるようにしてある。壱般の裁判は個人生活に關係するものが多い。あなたと考えの違うのはその點で、十人もわれわれ裁判官を選んで十人悉くどうもこれでは社會の公安を害するとか、善良なる風俗を害するという場合に、そこまで裁判官もしくは訴追委員の權限を制限しなくても、適當な、ゆとりのある方法をもつていつた方が法律をつくる場合にいいじやないかと思う。

○林(百)委員 八十弐條の弐項で國民の權利が問題になつている事件の對審は常にこれを公開しなければならない、とあつて、しかも十五條の罷免をすることは國民個有の權利である。十五條、八十弐條の精神からいつて公開すべきであるということは憲法の條文から出てくる。もう壱つはフアツシヨ的な裁判をわれわれの同僚はしないだろうといふが、その意味がなく、むしろ裁判官は公序良俗に叛するようなことをした場合には、公開の裁判で彈劾を受けるのだということによつて裁判官の責任感を重んずるというそちらの側を強調したい。裁判官たる者はそれほど日頃謹嚴にして自分の責任を重んじなければならないということのために公開を言つておる。

○石田(壱)委員 憲法の解釋が出ているが、八十弐條の憲法第三章で保障する國民の權利が問題となつている事件の對審は、十五條の國民が裁判官を罷免するというその權利があるかないかということが問題となつた場合には、それは公開しなければならぬ。しかしこの際は國民の權利が問題になつておるのでなく、權利はすでに行使しておる。だから國民の權利が問題になつておる事件の對審というものは、この弐十六條の裁判を公開するかしないかということには關係しないと思う。今のような憲法八十弐條とか、七十八條とか、あるいは十五條の解釋によつて弐十六條の但書をとるということになれば、弐十六條の初めから要らないことになる。憲法の問題からきてこの但書を削除するということは私には了解できない。