衆議院会議録情報 第001回国会 議院運営委員会 第3号

○後藤委員 昨日の自由討論の結果を見ますと質問時間が十分、答辨が五分ということは、なるたけ多くの議員各位に發言の機會を與えたいという趣旨から、本委員會でさように決定せられたのでありますが、結果を見ますと、十分論議を盡し得ない憾みがあるのであります。もう少し時間的制約を別途の方法で考えて、各人の所懷が十分に發表できる機會を與えるべきだ。たとえて申しますと、各黨派にある程度の持時間を與えて、各黨派で何人かに多くの時間を與えて少くやるとか、あるいは時間内においていつぱいやるとか、こういうような方法で、いま少し言い盡させる方法を、昨日の例に鑑みて採用すべきではないか、かように考えるのであります。

○大池事務總長 發言の時間とか何とかを制限することは、黨派に與えてやるということは無理でございませんでしようか。

○淺沼委員長 黨派にすることは無理があります。

○後藤委員 それはことさら規定によらなくても、自由討議に對しては發言の指名者があるのでありますから、その範圍内において何名か發言者をきめておいても、その黨内の調節において私はつき得ると思う。

○土井委員 今の件は至極妙案だと思います。たとえば發言者の員數をあらかじめ決定いたしまして、その員數によるところの持時間を、それぞれの割り當てられた黨派が適當に調節することによりまして、討論が自由な角度で十分行われることが可能ではないかと思うのです。そういう意味合において、黨派というのではないけれども、員數の上における壱定の時間を勘案することが、自由討議の場合には、きわめていい結果をもたらすであろうと考えます。

○石田(壱)委員 昨日の自由討議のあり方を見ていますと、政府に對する質問の延長というような形であります。討論する人の時間が十分間あり、政府の答辨者に五分の時間があるのですから、この十五分を各自討論者が用いるならば、もう少し内容のあるものができると思います。討論である以上、もちろん答辨を要求することもできるのですが、ほんとうに議員同士でやるいわゆる討論になれば、きのうの場分でも十五分ずつに時間がなるのではないかと考えます。

○赤松(勇)委員 私も大體石田君の意見に賛成であります。あの自由討論の發言の心構えというか、そういうことについて、もう少し考える必要がある。

 昨日の發言を見ておりますと、まるで行政府に對しての質問に終始しているそうでなくて、むしろ議會においてはこういうことにしてこうやるべきだという建設的な意見をどんどん發表されなければ、ほんとうに權威ある發言にならない。ただあげ足をとるような結果になつて、議會の權威を疑われると思います。

 もう壱つ、黨に持時間を與えるということは、議會運營の上からいつてでなくて、原則的に申しまして賛成しがたい。というのは、結局自由討論の意義は、各議員が議員獨自の立場で發言するので、從つて黨が統制上發言者を指名することは差支えないと思いますが、ただ今石田君の發言のように、發言者の持時間をもう少しひろげて、十分に發言させる。そうして發言者の數を昨日のような總花的のものでなく、議會の權威のために、もつと縮めて、十分に意見を發表してもらう。そういつた行き方をしてもらう。そうでないと今日の新聞に書かれているように、中學生の討論會だというようなことになりやすい。

○後藤委員 討論の行い方については、石田、赤松兩氏と見解は同じである。ただ私の黨の持時間という意味は、いわば少し全段階を形式を拔いた實質の運用にまで飛躍して申し上げたわけであつて、答辨を求めないで十五分ずつに運用していくということは、たとえて言うと、社會黨で何人、自由黨、民主黨で何人、國協黨で何人立てるということが結論になるのであるが、しかし效果から考えると、ある問題については壱人が弐十分も三十分もやつて意を盡す場合もあろうし、ある黨によつては五分か十分でほんとうに黨の妙を發揮し得る場合もあろう。しかし内容的にはある、程度の申合せ的に黨で範圍をきめておかぬと、どの問題に對しても、壱方の黨は長々とやる、壱方の黨は短かくやるというのでなしに、十五分という意味もわかるけれども、ある人は十分でやる、ある人は弐十分でやるというような幅を持たしたい。